bokee.net

出版/发行工作者博客

正文 更多文章

90年前的一张青岛老明信片


这张图来自《青岛物语》作者吉田正先生的个人网站。这张图介绍的是青岛从日本归还到中国后不久,青岛新报社为青岛名胜图会制作发售的一张明信片。图中标注了早期青岛城区主要建筑的名称。以下文字是根据网站日文大致翻译的。仅供参考。
大部分地名、公司、商店名、建筑物名都写有日本统治时代的东西。特别是万年兵营、旭兵营、若鹤兵营、兵器厂。
看到青岛守备军司令部所在的建筑物名称,画面上虽然不鲜明,但原绘明信片上明确写着“商埠局”,很明确,这栋楼已经转为中华民国政府管理,换句话说就是证明青岛在中国治下。青岛湾沿岸有一座叫做“领事馆”的建筑物,这个建筑叫做“青岛日本总领事馆”。
这张明信片是青岛新报社在日本统治时代制作的原版,即使到了北洋统治时代,也几乎可以原封不动地再利用。作者认为是用手绘明信片做成的。
青岛市街的青岛区、别墅区的群山的绿色,为德国统治时代奠定了基础。进入了日本统治时代,制造业发展,许多日本人中华人流入青岛,青岛守卫军为维持青岛的绿色景观推进绿化事业扩大了一般居住宅区、工业地区通过设置在青岛湾的背后扩大了市域。
日后,青岛湾所期望的绿树·红色屋顶的美丽景观,也是日本统治时代青岛守卫军行政努力的结果,这幅画是90年前制作的画。可以从明信片上看出来。

以下是日文原文:

この絵はがきは、青島が日本から中華民国に返還された直後に、青島新報社が「青島名所図会」として作成し発売したと推察されるもの。旧租借地青島の全域をほぼ一望できる数少ない地勢・風景資料である。

 ◆ 大部分の地名、会社・商店名、建物名は日本統治時代のものが記入されている。特に万年兵営、旭兵営、若鶴兵営、兵器廠などは日本守備軍の建物名称であり、中華民国政府が日本守備軍の名称をそのまま踏襲したとは考えられない。これらの観点から、この絵はがきは青島新報社が日本統治時代に作成した原板を、中華民国統治時代になってもほぼそのまま再利用して絵はがきに作成したものだと思われる。
 ◆青島守備軍の司令部あった建物名を見ると、画面では不鮮明だが、原絵はがきには明確に「商埠局」と書いてあり、これは明らかにこの建物が中華民国政府の管理に移行したこと、換言すれば青島が中華民国の統治下にあることを示す証拠である。
 ◆青島湾岸ぞいに「領事館」という建物があるが、これは「青島日本総領事館」のことで、これも明らかに統治体制が日本から中華民国に移行した事を示すものである。「提督楼」という建物も、以前は「青島日本守備軍司令官管邸」であった。
  青島市街の青島区、別墅区の山々の緑は獨逸統治時代にその基盤が作られた。日本統治時代に入って製造業が発展し、大勢の日本人・中華人が青島に流入したが、青島守備軍は青島の緑の景観を維持するために緑化事業を進め、一般住宅区、工業地区は青島湾の背後に設置することで市域を拡大した。
 後年、青島湾から望まれた緑樹・赤屋根の美しい景観は、日本統治時代における青島守備軍の行政努力の結果でもあった事を、この90年前に作成された絵はがきから読み取る事ができる。

               【 葉書出典:古書市にて Aki (弟)が購入したもの 】
分享到:

上一篇:【叶帆作品选】 不能化蝶的蛹(小说)

下一篇:《青岛物语》序

评论 (0条) 发表评论

抢沙发,第一个发表评论
验证码